額田王、万葉集の歌姫

万葉集の歌姫、額田王はその美貌と才覚からか恋多き女性としても知られ、恋する胸の内を表した歌を残しています。

天智天皇の妻となり、大津宮で過ごした頃に残した歌が大津京周辺に歌碑として建立されています。

歌碑に刻まれた歌から時代背景と額田王の心情を探ってみました。





女流歌人、額田王とは

額田王は初期万葉の時代に活躍した歌姫ですが、万葉集には他の女流歌人が残した歌も多く有ります。

大伴坂上郎女(85)、笠女郎(29)、狭野茅上娘子(23)、額田王(13)から分かる様に、他の女流歌人より歌が少ない割には印象が強く、恋歌の切ない心情は現代でも変わらない事から、共感を持たれるのではないでしょうか。

額田王は女帝、斉明天皇(舒明天皇の妻、宝皇女(皇極))に若くから仕えたとされ、斉明天皇の子供、中大兄皇子の弟、大海人皇子に見初められ、妻となって十市皇女を産んでいます。

斉明天皇と中大兄皇子が百済を唐から守るべく百済に向かって出陣する際、愛媛県の熟田津で額田王が読んだ歌

「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」

(にきたつに ふなのりせむと つきまてば しほもかなひぬ いまはこぎいでな)
万葉集巻1-8

熟田津で良い潮の流れを待って、月明かりと共に出陣する様子を唄っています。
斉明天皇に仕え、広告塔の役目を担った歌人と言えます。

斉明天皇が崩御後、中大兄皇子が天智天皇として大津宮に都を移します。

ところがその後に、天智天皇(中大兄皇子(大海人皇子の兄))の妻(正室では無い)に成っているのです。
大海人皇子と別れた後なのか、天智天皇の権力による強奪?、額田王からの誘惑?なのかは定かでは有りませんが、現代では理解しがたい関係と生涯をおくっているのです。

額田王の恋歌と歌碑

大津宮周辺に在る歌碑と歌の背景です。

元夫婦、額田王と大海人皇子の歌

額田王、紫草野の歌碑

JR大津京駅広場には、額田王と大海人皇子が読んだ歌碑が建立されています。

「あかねさす 紫草野行き 標の行き 野守は見ずや 君が袖振る」

(あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる)
万葉歌 巻1-20 額田王

「紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 我恋ひめやも」

(むらさきの にほへるいもを にくあらば ひとづまゆえに われこひめやも)
万葉歌 巻1-21 大海人皇子

額田王、紫草野の歌解説

額田王と大海人皇子の歌の解説プレートです。

天智天皇が行った蒲生に在る御料地(大津宮からびわ湖の東、現在の東近江市蒲生地区の天皇の所有地)での野狩りに同行した二人が読んだ歌です。

額田王の歌は、(赤々と日の照らす紫草(藤の別名)が植えられた野を行き、票縄が巡らされた野を行きながら、大海人皇子が袖を振って、恋しい仕草をしているのを野の番人が見ていないでしょうか)と推測出来ます。

額田王の歌の返歌として大海人皇子の歌は、(紫草の様に美しいあなたを好きでないなら、人妻のあなたをどうして恋い慕うのでしょうか)と推測出来ます。

天智天皇の妻となった額田王に未練がある、大海人皇子の心情が表れた恋歌と言えます。
天智天皇に妻を横取りされても、弟が故におとなしく我慢をしていたのでしょうか。
現代では考えられない謎です。

額田王が天智天皇を慕う歌

額田王、わが君の歌碑

大津宮跡地、近江神宮近くに在る大津京シンボル緑地内に、額田王が天智天皇を慕って唄った歌碑が建立されています。

「君待つと わが恋ひをれば わが屋戸の すだれ動かし 秋の風吹く」

(きみまつと わがこいひをれば わがやどの すだれうごかし あきのかぜふく)
万葉歌 巻4-488 額田王

額田王、わが君の歌解説

額田王の歌の解説プレートです。

(天智天皇のお出でを待って、恋い焦がれていると、すだれが動いたので、もしや天皇ではと思ったら秋の風のいたずらだった)と推測出来ます。

額田王が天智天皇を慕い、お出でを待ち続ける切ない気持ちが表れた恋歌です。

解説プレートには、補足の解説が記されています。

「額田王が、天智天皇を思って作った歌。 中国の六朝(3~6世紀)のころの系怨詩、夫に捨てられた妻の独り寝の悲しみをよむ詩にこの歌と趣の似たものがある。
額田王は中国文学の教養が深かったのであろう。」

何とも意味深な解説です。
天智天皇が既にお出でになる事は無いと分かっていて、最後の秋の風に寂しさを綴っている様にも思えなくは無いです。

何れにせよ、額田王に関する資料が少なく、1300年以上前にどの様な状況で歌を唄ったかは、憶測に過ぎません。

最後に

混乱の時代に翻弄された恋と才覚ある歌姫の歌碑を見るたびに、1300年以上前にこの地であったロマンスを思い浮かべるのでした。

額田王の恋歌が現在でも通じ合えるのは、切ない女心が昔も今も変わらないからではないでしょうか!